2008年1月17日木曜日

■conゼミ@東大「当事者学」とは…

●conゼミ@東大とは

 フリーライターの今一生氏がオーガナイザーを務める
2007年4月から東大駒場キャンパスで始まったゼミです。
mixiを通じて参加表明をするだけで
社会人でも学生でもどなたでも参加可能なオープンゼミナールです。
conゼミ@東大(mixiコミュニティへジャンプします)


●どんな人が受講してるの?

 東大生以外にも
女子高生・社会人・脳性まひ障がい者・大学生・レンタル空手家…
などなど、様々な社会的立場の人がゼミ生として参加しています。


●どんなことをしてるの?

 07年前学期は「当事者学」と銘打ち、
ユニークフェイス・同性愛者・乳幼児を持つ母親…など
様々な方をゲストスピーカーにお迎えして
それぞれの立場から見えてくる問題について
お話していただきました。
前期ゼミのダイジェストはこちらからご覧いただけます。
(Z会のサイトへジャンプします)



●今はどんな活動をしてるの?

 現在conゼミ@東大では「ソーシャルベンチャーの実践」
特化したゼミを展開しています。
 ソーシャルベンチャー。
 なんだか耳慣れない言葉ですが、
「社会問題をビジネスの手法を使って解決しようとする試み

を指します。

 ソーシャルベンチャーについてもっと知りたい方は
今一生ブログ:ソーシャル・ベンチャー ~もっといい世の中を作ろう!
をご覧ください。

 2008年1月現在、conゼミ@東大では2チームに分かれ、
自分たちでもできるソーシャルビジネスプランの作成
を行っています。

2008年1月6日日曜日

☆半額キャンペーン


 当プロジェクトの始まりを記念し、期間限定で「半額キャンペーン」を行います。

 下記の要項をご覧のうえ、お早めに申し込みください。

【半額の条件】


●今一生と遠藤一の「カップル講演」のみ、今一生の講演料金が半額になります。

このキャンペーンは、ほかのカップル、単体でのお申し込みには適用されません。


A: 日帰り可能な地域、もしくは学校単体でイベントを主催する場合のみ。

今一生2.5万円~+遠藤一5万円~=7.5万円~(※税別・交通費別)

B: 上記の条件以外の場合。民泊・公共施設での宿泊も大歓迎。

今一生5万円~+遠藤一10万円~=15万円~(※税別・交通費&宿泊費別)


●期間:20081月~3月末日まで(※この間に講演依頼を申し込まれれば有効です)


●備考:卒業式、新入生歓迎講演会、研修会など、お気軽にお問い合わせください。



《講演申し込み・お問い合わせ》


 下記サイトをクリックしてください。

講演を依頼したい方へ



2008年1月5日土曜日

【サバイバー03】 佐藤信一郎(さとう・しんいちろう)




広告代理店、ボクシングジム経営者。

1964年、愛媛県西条市出身。

アスペルガー症候群によりコミュニケーション能力に障害を持ち小・中学校ではほとんど友人がおらず、ケンカが絶えない毎日。

当時はその症例が社会的に認知されておらず、担任教師からは「周囲にとけこめない問題児」として扱われ、両親の理解もなかった。

そのため、学校にも自宅にも居場所がなく不登校ではなかったが、じっと息をひそめる生活だった。

高校入学後、強制的に入部させられた応援団(部)で正面から向き合って真剣に熱心に指導してくださる上級生たちとかかわり続けるうち、人と人とのふれあい、必要とされる、認めてもらえる喜びを体感することで、「周囲はすべて敵」の意識が薄れ、周囲と協調する能力が芽生え始める。

大阪芸術大学に入学後、ボクシング部に入部(フェザー級・ライト級)

無器用で下手だったが、練習を続け、3年生の夏から副主将に就任。

最終的には、全日本選手権に愛媛県代表として出場権を獲得(金銭的事情で本大会には出場できず)。

大学卒業後は広告代理店に就職。

数回転職した後、1997年(31歳当時)に独立。

総合広告代理店「ラッキー・スター」を創業。

営業・制作・事務他すべてを1人でこなす。

2004年(39歳当時)、別事業として大阪市天王寺区(谷町九丁目)にアマチュア専用ボクシングジム「ラッキースターボクシングクラブ」を開設。

ボクシングジムには、不登校・ひきこもり・ニートの方々を対象としたコースや、いじめに遭っている生徒を対象としたコースを設け、その対象者はもちろん、それに近い立場にいる方々も安心して練習に通える環境作りに成功。

自身の立ち直れた経験から、(1)外に出る(2)目的意識を持つ(3)集まって活動する、の3点に指導方針を置く。

「成功体験、達成感を植え付けることで立ち直れる。

経験者にこそできる、同じ目線に立つ指導法がある」

ジム以外でも、大阪芸術大学ボクシング部監督、兵庫県アマチュアボクシング連盟常任理事、神戸市アマチュアボクシング協会理事長兼審判長などを兼務するなど、幅広くアマチュアボクシング関連の活動を続けている。

現在、兵庫県神戸市在住。


《公式サイト》(ラッキースターボクシングクラブ

http://www.k2.dion.ne.jp/~johnny/


《講演テーマ》

病気と格闘技:アスペルガー症候群から拳闘へ、応援部の先輩・教師の思い出

■格闘技の現場:ひきこもりを支援する経験、ひきこもりでもボクシングは出来る

その他:広告の仕事、起業するということ、アマチュアにこだわる理由

…など


《講演例》

□ボクシングジムに「ひきこもり」コースを作ったわけ

□経験者だからできる「立ち直り」の指導法

など


《最寄駅》

大阪市営地下鉄谷町線・千日前線 谷町九丁目駅

または

近鉄奈良線・大阪線 上本町駅

下記のサイトでイベント会場の最寄駅を入力すれば、交通費・所要時間がお見積もりできます。

http://transit.yahoo.co.jp/


《講演料金》

●10万円~(税別・交通費別)

日帰り可能な地域、もしくは学校単体でイベントを主催する場合のみ。

●20万円~(税別・交通費&宿泊費別)

上記の条件以外の場合。民泊・公共施設での宿泊も大歓迎です。

聴衆への広告チラシ配布を条件に地元の格安チケット店、旅行代理店、青年会議所などの協力をとりつけると、交通費を負担してくれる場合があります。

佐藤信一郎1人で講演する場合も、チャレンジャー・サポーター・ソーシャルベンチャーの方を1人加えて2人で講演する場合も、講演料金は変わりません。


《講演申し込み・お問い合わせ》

下記サイトをクリックしてください。

講演を依頼したい方へ




2008年1月4日金曜日

【サバイバー02】 澤田晃宏(さわだ・あきひろ)





【サバイバー01】 月乃光司(つきの・こうじ)




心身障害者のパフォーマンス集団『こわれ者の祭典』発起人・代表


1965年、富山県生まれ。

小中学校といじめ被害者体験を持つ。

高校入学時から対人恐怖症・醜形恐怖症により、不登校になる。

引きこもり生活で通算4年間を過ごす。


24歳よりアルコール依存症になる。

自殺未遂、アルコール依存症により精神科病棟に3回入院。

27歳から酒を飲まない生活を続ける。

「生きづらさ」を乗り越えたメッセージを、執筆、朗読、様々な表現活動で伝え続け、2001年に自伝的小説『窓の外は青』(新潟日報事業社)を出版。

新潟市民文学奨励賞・新潟出版文化賞を受賞する。


新潟日報に日常生活エッセイ「心晴れたり曇ったり」を5年間連載。

BSN新潟放送「ハートセラピー」司会を4年間務める。

新潟薬科大学応用生命科学科非常勤講師。


2002年5月、第1回「こわれ者の祭典」を地元の新潟市総合福祉会館で行い、超満員の170人を動員。

「病気でどう苦しみ、そこからどう回復したか」についてユーモアを交えたトークと、その病気に関するパフォーマンスで盛り上げた。

(現在までに、アルコール依存症、ノイローゼ、うつ、幻聴幻覚、過食症、引きこもり、脳性まひ、リストカット、自殺未遂、パニック障害、性同一性障害などの当事者が出演)


その後、「日本精神障害者リハビリテーション学会関連イベント」「精神障害者リハビリ施設 夕映えの里」「新潟看護大学」「曹洞宗東 龍寺」など5年間に30回以上の公演を行う。

新潟県内で、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、新潟日報、NHK、BSN新潟放送、などで取り上げられて評判を呼ぶ。


2004年、日本テレビ「Dの嵐!」やフジテレビ「スーパーニュース」、朝日新聞全国版などで取り上げられて全国進出。

2005年、名誉会長に作家の雨宮処凛さんを迎えて、新宿ロフトプラスワンでの公演に180名を動員して超満員。

自作詩の朗読活動がNHKの福祉番組「ハートをつなごう」で取り上げられて全国的な注目を集める。


20074月、対談集『病気だヨ!全員集合』(新紀元社)を発表。

戸川純・大槻ケンヂ・石井政之・手塚眞・信田さよ子・ホーキング青山・中村うさぎ・今一生・雨宮処凛らとの対談を収録。

同年7月、東京大学(駒場キャンパス)で行われている今一生の自主ゼミにゲスト講師として登壇。

同年12月、ネットラジオ「オールニートニッポン」で女優・歌手の戸川純とお悩み相談番組「ハート温泉」を放送。


現在、新潟県新潟市在住。


《著書》

『窓の外は青 アルコール依存症からの脱出!!』(新潟日報事業社)

●『家の中のホームレス神様、僕を引きこもりにしてくれたことを感謝します』(新潟日報事業社)

『病気だヨ!全員集合』(新紀元社)

http://astore.amazon.co.jp/tsukinokouzi-22


《共著》

●『ひきこもり ただいま冬眠中』(Kacco・田原和隆・高橋和枝らと/新潟日報事業社)


《紹介されている本》

●『雨宮処凛のオールニートニッポン』(雨宮処凛・著/光文社新書)

●『すごい生き方』(雨宮処凛・著/サンクチュアリ出版)

●『変?』(中村うさぎ・著/角川文庫)


《公式サイト》

http://sky.geocities.jp/tukino42/


《講演テーマ》

「こわれ者の祭典」関連:こころとからだの障害・病気、恥ずかしいことほど自慢しよう!

その他:定時制高校について、格差社会、精神科&自助グループの経験

…など


《講演例》(講演+詩の朗読+質疑応答)

□KHJ引きこもりの会

□ABC摂食障害の会

□いじめ問題シンポジウム

など



《最寄駅》

JR越後線・小針駅

下記のサイトでイベント会場の最寄駅を入力すれば、交通費・所要時間がお見積もりできます。

http://transit.yahoo.co.jp/


《講演料金》

●10万円~(税別・交通費別)

日帰り可能な地域、もしくは学校単体でイベントを主催する場合のみ。

●20万円~(税別・交通費&宿泊費別)

上記の条件以外の場合。民泊・公共施設での宿泊も大歓迎です。

聴衆への広告チラシ配布を条件に地元の格安チケット店、旅行代理店、青年会議所などの協力をとりつけると、交通費を負担してくれる場合があります。


月乃光司1人で講演する場合も、チャレンジャー・サポーター・ソーシャルベンチャーの方を1人加えて2人で講演する場合も、講演料金は変わりません。


《講演申し込み・お問い合わせ》

下記サイトをクリックしてください。

講演を依頼したい方へ




2008年1月3日木曜日

【サポーター02】 石井政之(いしい・まさゆき)




ジャーナリスト、評論家。

1965愛知県名古屋市生まれ。

豊橋技術科学大学物質工学(有機化学)課程卒業。

1990から名古屋でフリーライターとして活動を始める。

生まれつき顔に大きな赤あざ(単純性血管腫)があり、高校に入ってから「虚弱体質の克服といじめから身を守るため」柔道部に入部し、2年生になると極真空手に入門。

自身の「顔面問題」をきっかけに「顔にアザをもつジャーナリスト」として顔面や肉体の奇形・変形に関する著作を多く書き、TBSの人気のテレビドラマ『3年B組金八先生』の第7シリーズで登場する顔にあざのある養護学校教諭・青木圭吾(演・加藤隆之)のモデルとなった。

1999年、顔にアザや傷のある人たちを支援する市民団体「ユニークフェイス」を設立。

2002年、NPO法人化して代表に就任。

2003年、日本ジャーナリスト専門学校で「現代文化論」(教養)の講師を担当(2003年から2007年まで)

2004年、東京大学医療政策人材養成講座「患者支援コース」(20049 - 20053月)を修了。同期生らとともに「患者学会」を提唱。

2006年、合同会社ユニークフェイス研究所を設立。

アザを持つ人たちの現状を伝えるドキュメンタリー映画『ユニークフェイス・ライフ』も制作し、上映会をミニシアターや公共機関を中心に各地で開催。

美容整形など身体コンプレックスに関する発言を積極的に行っている。

また、柳美里のデビュー作「石に泳ぐ魚」をめぐる裁判を傍聴してきたことでも知られる。

現在、静岡県浜松市在住。


《著書》

●『顔面漂流記 -- アザをもつジャーナリスト』(かもがわ出版)

●『迷いの体 -- ボディイメージのゆらぎを生きる』(三輪書店)

●『肉体不平等』(平凡社新書)

●『顔面バカ一代 -- アザをもつジャーナリスト』(講談社文庫)

●『顔がたり』(まどか出版)

●『人はあなたの顔をどう見ているか』(ちくまプリマー新書 筑摩書房)

など多数。

http://astore.amazon.co.jp/ishii-masayuki-22


《編著・共著》

●『「見た目」依存の時代』(石田かおり氏との共著 原書房)

●『文筆生活の現場 -- ライフワークとしてのノンフィクション』(編著:中公新書ラクレ)

●『自分の顔が許せない!』(中村うさぎ氏との共著 平凡社新書)

●『まれに見るバカ女』(柳美里について担当。宝島社文庫)

●『顔とトラウマ』(かもがわ出版)

●『見つめられる顔 -- ユニークフェイスの体験』(高文研)

●『知っていますか? -- ユニークフェイス一問一答』(解放出版社)

●『性転換マニュアル』(同文書院)

など多数。


《公式サイト》

http://uniqueface.biz/


《講演テーマ》

ユニークフェイス問題:顔にアザや傷のある人達の心理

起業・NPO関連:小資本事業家がメディアにアピールする方法

その他:文筆業の生活、地方経済と若年労働者事情、「脱・東京」の暮らし


《講演例》

□「カモフラージュメイク」とは何か ~その可能性と限界

□子供から大人まで拡がる身体コンプレックスの社会的背景

美容整形大国日本の現実

など


●参考サイト(※詳細な講演実績)

http://www.geocities.jp/uniquefacelabo/koen.htm

http://www.zkaiblog.com/so03/archive/5



《最寄駅》

 JR浜松駅(静岡県)

下記のサイトでイベント会場の最寄駅を入力すれば、交通費・所要時間がお見積もりできます。

http://transit.yahoo.co.jp/


《講演料金》

●10万円~(税別・交通費別)

日帰り可能な地域、もしくは学校単体でイベントを主催する場合のみ。

●20万円~(税別・交通費&宿泊費別)

上記の条件以外の場合。民泊・公共施設での宿泊も大歓迎です。

聴衆への広告チラシ配布を条件に地元の格安チケット店、旅行代理店、青年会議所などの協力をとりつけると、交通費を負担してくれる場合があります。

石井政之1人で講演する場合も、チャレンジャー・サバイバー・ソーシャルベンチャーの方を1人加えて2人で講演する場合も、講演料金は変わりません。


《講演申し込み・お問い合わせ》

下記サイトをクリックしてください。

講演を依頼したい方へ

2008年1月2日水曜日

●『当事者と一緒』ブログ・サポーターズ



 「講演企画☆当事者と一緒」についてリンクしていただいた方々です。

●mixiコミュ「講演なら、当事者と一緒」

http://mixi.jp/view_community.pl?id=2934487

ユニークフェイス研究所blog
http://uniquefacelabo.txt-nifty.com/blog/2008/01/post_82c5.html

仮福真琴と不甲斐ない夫との日々
http://blogkarifuku.digit-01.com/?day=20080106

化粧の学際研究論
http://cosmetology.livedoor.biz/


●発心基地∞すまいるくりえいと♪
http://smile-creator.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_75dd.html




●あなたのブログにこのプロジェクトの記事を書いてください!


 講演企画☆『当事者と一緒』の試みに、賛同・共感してくださった方々へ。


 あなたのブログに、このプロジェクトへのリンクを貼った記事を書いてもらえませんか?

 1回の執筆でも、長い目で見れば、その閲覧者は決して少なくありませんし、そういう方が一人でも増えれば、このプロジェクトを拡大・持続していける力になります。
 そのたった1回の執筆を、お願いしたいのです。


 mixiなどのSNSでの日記でも構いませんし、リンク集などに入れていただいても構いません。

 執筆してくださった方には、お名前とブログ記事へのリンクを本家サイトから飛んで見られる『当事者と一緒』ブログ・サポーターズで紹介させていただきます。
(アフィリエイトやネット通販などのネットビジネスをやっている方には、アクセス支援のお手伝いになるかもしれません。リンクの少ない今が目立つチャンスです!)

 ご執筆いただいた方は、お気軽に下記までお知らせください。
 
conisshow@gmail.com(当サイト管理人・今一生)

●『当事者と一緒』ブログ・サポーターズ

 

■僕が『レンタル空手家』を始めたわけ



ひきこもる情熱を空手道に傾けて

 文責・遠藤一(レンタル空手家&フリーライター)



 19歳で大学受験の浪人生だった1999年。
 僕は、浪人生なのにまるで勉強する気がしませんでした。
 未来への夢も何も見えませんでした。
 アルバイトを週何日かしながら、残った時間はマンガや本を読むことで時間をつぶしていました。
 とても不安でした。

 その頃、新宿で行われていた自殺をテーマにしたイベントに足を運ぶと、一人の女性ライターと出会うことになりました。
 リストカット(手首切り)やオーバードーズ(処方薬の処方量以上の摂取)など自分を傷つける悪習慣があった彼女に、僕は声をかけました。

「僕は死にたい、と思うことはないのですが、自分がいなければいい、と思うことはあります。
死んでもいいと思えるなら、楽かもしれませんね」

 家に着くと、家族はすっかり寝静まっていました。
 僕は自分の部屋に入り、しばらくの間じっと椅子に座っていましたが、やがて机の引き出しの中からカッターを取り出し、少し考えてから、あまり痛くなさそうな、肉のたくさんついている自分の太ももを軽く切りつけました。
 不思議と、あまり痛くはありませんでした。
 なぜだか、スッキリした気になりました。
 まるで誰かに仕返しをしてやれたような、晴れやかな気持ちでした。
 何度も何度も、次第に深く、まるで何かを憎むかのように、切りつけていきました。

 僕は何かムシャクシャしたことや「どうしようもないな」と思うことがあったりすると、腕や脚を切りつけるようになりました。
 たいていは、イベントの女性と同じように、「自分を許せない」友達が自分を責め苦しんでいることを知った時。
 また、自分の中でどうしようもなく不安が高まった時もそうしていました。

 母親は、僕が高校の時から精神科に通っていることを知っていたのですが、結局は大学に行くのだろうと思っていました。
 僕はずっと、母親に自分が自傷していることを、知られたいような、知られたくないような気持ちでした。

 一度、リストカットの途中で寝てしまい、血が止まらず1リットルほどの大量出血をしたことがありますが、母親はその場では騒ぎましたが、次の日になるとまるで何事もなかったかのように、普段どおりに振舞っていました。
 父親はずっと海外にいて、多分このことは知らなかったと思います。

 僕は、次第に自分と同じように、生き苦しく、それすらも自分のせいにしてしまう同世代や少し上の友人達と、イベントに行ったり、一緒に遊ぶようになっていました。
 仲間の間では自分がダメなことをさらしても、誰も責めませんでした。
 それが居心地よかったのかもしれません。

 病院で出される向精神薬は、どんどん強いものになっていきました。
 僕は、医者は「薬を出すだけの人」と認識して、もっと強く、より「現実を忘れられるような強くラリれる」薬を出してもらえるように症状をいつわり始めました。
自殺イベントの彼女と同じように、出かける時、人と会う時には、必ず薬を服用していました。

 毎日、脚や腕だけではなく胴をも切りつけたり、強く効く薬を服用しながら遊ぶ日が続きました。
 それでも、一人になると、得体の知れない不安は以前より強くなるばかりでした。

 そんなある夜、携帯に一件の着信がありました。
 その夜は人と話すのも怖くて、薬でぶっ飛びながら自傷行為をしていたので、電話には、出ずにそのまま眠りました。

 次の日の夕刻、あの自殺イベントの女性が亡くなったということを知りました。
 葬式は終わった後でした。
 死因は、風呂場での溺死。
 おそらく薬を大量服用したせいで昏睡状態で入浴し、頭まで湯に浸かってしまったのでしょう。

 一年が過ぎ、20歳になった僕は、親に頼んで一人暮らしをさせてもらいました。
 家にいると家族にも迷惑をかける気がして、いたたまれなかったからでした。

 実際、家族はいつまでたっても勉強や将来のことにやる気を見せない僕にイラ立ち、ピリピリしていました。
 家を出た直後は、アルバイトをして自活して行くつもりでしたが、すぐに引きこもりに変わりました。
 毎月、親が仕送りを送ってくれていたからです。

 2001年、21歳になりました。
 「いつまで続くんだ、こんな毎日…」
 いつものように十二時間近くの薄く長い眠りから覚めると、かったるそうに布団から起き上がりました。
 カーテンの外は、これもいつもと同じように、夕刻過ぎでした。
「腹減った…」
 そう思っても冷蔵庫の中にはもう何も入っていませんでした。
 戸棚の奥に残っていた白砂糖も、昨夜食べ尽くしてしまったばかりでした。
 「買いに行くしかないか…。」
 外に出ると、またあの声と向き合わなくてはいけません。
 「いつまでこんな暮らしを続けているんだ?」

 深夜、人通りのなくなった頃、何日も着替えていない服にコートを羽織って、帽子を被り、外へ出ました。
 コンビニのATMで金を下ろす時は、苦痛の瞬間でした。
 「あんなに嫌な親から、どうして金をもらってまで生きているんだろう…。」
 それでも下ろし、100円ショップで食料を調達した帰り、ブックオフで古本を漁ります。
少なくとも、買った本を読み尽くすまでは、現実に向かい合わないでいられる…。
 部屋の中は、古本や古マンガだらけでした。

 そんなある日、たまたま外に出かけている時、仲間から連絡が入りました。
 「○○さんが亡くなったよ」
 友達が死んだと聞かされるのは、これで三人目でした。

 亡くなった彼女は、生きようとしていろんな試みをやっていました。
 自傷行為の自助グループを立ち上げたり、自分の書いた詩を出版しようともしていました。

 手首を切ったり薬の多量服用はしていましたが、生きるために何が必要か、模索していました。
 死因は、心停止でした。
 自傷行為や薬の過剰服用を繰り返すと、心肺機能が低下し、少量の薬でも心臓に大きな負担がかかって停止してしまうことがあります。
 彼女はその危険性を知っていたのに、過剰服用をやめることが出来なかったのです。

 通夜と葬式に出ました。
 「ココロ系」の仲間は集まっていたのですが、彼女の地元の友達は一人として来ていませんでした。
 納骨の後、彼女の家族の無理をしたような笑顔に耐えられなくて、先に一人で帰りました。
 「何かしたい!」と思いました。
 でも、それからも、しばらくは引きこもりを続けました。

 2002年、22歳。
 その年の夏、友達から「自傷行為や自分を責めることをやめられないなら、空手などフルコンタクトの格闘技をやればいい」と言われました。

 自分にはとても勇気が出せませんでした。
 空手道場なんかに行ったら、強いやつらがたくさんいて、あっという間にやっつけられてしまうような気がして。
 近くの道場などを調べても、最初の一歩はなかなか踏み出せず、「どうしようどうしよう」「いつかはやらなくちゃ…」と思うばかり…。

 そんなある日、自分と同じようにひきこもっていた友達が、自叙伝を出版しました。
 タイトルは「「人を好きになってはいけない」と言われて」というもの。

 内容は、小学校を卒業してからひきこもりになっていた彼が、ひきこもり中にPC操作を覚え、ゲームを作りたいという夢を持ち、家出して上京、さまざまな出会いに救われながら自分の金で大学進学を目指すまで、というものでした。

 その自叙伝を売ることで、彼は大学進学の費用を稼ごうとしていました。
 僕は、そんな彼を応援したいと思い、出版記念イベントを運営することにしました。

 自分らしく生きることに賛成している著名人を集めてのトークライブ。
 ひきこもりだった僕はこのブッキングにとても手間どり、司会をやっても言葉が出てこず、惨々たる始末…。

 友達を応援したいと思っても、ろくに応援することが出来ない。
 「なんてヘタレなんだ!」と思い、空手道場に入門することにしました。

 フルコンタクト(直接体に打撃を当てるスタイル)で殴り合う空手をやれば、少しは人を怖がらずに、コミュニケーションがうまくなるだろうかと思って。

 最初は基本クラスの稽古を見学させてもらい、その後お目当てのスパーリング(組手)のクラスも見学させてもらいました。
 初めて見るスパーリングは、迫力がありました。

 痛めつけあっているはずなのに、なぜか気持ちよさそう。
 稽古慣れしている道場生は、女子の選手とスパーリングする際、無抵抗になり、女子の攻撃を受けるだけになります。
 それは、「痛そう」と思うより、「ああ、理にかなっている」と思えました。
 そして、なぜか「耐えてみたい」とも思ったのです。

 見学が終わると、師範が言いました。
 「スパーリングに慣れていない人は、加減がわからなくて相手にケガをさせてしまうことがあるのです。だから女子を傷つけすぎないように、慣れていない人はああやっているのです」
 それを聞いて、「ああ、ここにしよう」と思えたのです。

 2003年、秋。23歳。
 初めての試合は新人戦で、準優勝でした。
 試合に出ない仲間や先輩、友達が応援しに来てくれました。

 試合でいっぱいいっぱいになっていて、正直、声援は聞こえなかったのですが、試合の前に「頑張れよ、絶対勝てる」などと声をかけてくれたり、固くなっているだろうと肩をほぐしてくれた温もりは、今でも思い出せます。

 それから、一か月に一度のペースで試合をこなしていきました。
 優勝も何回かしたし、一回戦負けも何度かありました。
 自分を責める時間を作りたくなかったのです。
 サボって後悔するほうが一番怖かった。
 稽古に行った後は、何も考えずに静かに眠れました。
 だから、稽古を欠かさなかったのです。
 日曜日は休みにしていましたが、休みの日が一番怖かったのです。

 そうしているうちに、次第に金銭感覚も変わってきました。
 稽古の月謝やサポーター代、試合代くらいは自分で稼ごうと、日雇いのアルバイトを始めたのです。
 親の金で空手に関わるものに使うと、空手ライフが穢れるような気がしました。
 強くなれないのではないか、と。

 そのうち、子どもに空手を指導してほしいという話が来ました。
 埼玉で幼稚園や少年部を教えている女子プロレスラーの方がいて、その方があまりに指導に通うのが遠いので、誰かに引き継ぎたい、というのでした。

 空手に関わってお金がもらえる。
 それが魅力的で、その話を受けました。
 週一回のクラスですが、みんな少しづつ進歩してきて、僕は子供たちから「元気」と「人を信じること」を学ばせていただきました。
 組手でぶつかりあうことで、相手を信じること。
 自分が相手から信じられる存在であること。

 「教える存在」になるのだから、親から離れて自活しなければ。
 僕はそう思い、ひきこもっていたワンルームを引き払い、保証人、敷金や礼金が不要のゲストハウスに移り住みました。
 子ども向けの指導だけでは食えませんが、アルバイトも転々としながらなんとかやっていけるようになりました。

 2006年、26歳。
 アルバイト生活を続けてきましたが、好きでもない仕事を無理矢理やっていたら、ほとほと疲れてきました。
 空手を続けたい。
 だけど、このままでは仕事の都合やストレスに追われて満足に練習できなくなる…。
 
 自分には空手しかない。
 空手をやることで生き残ってきた。
 空手に出会わなかったら、今ごろ多くの友人と同じように心停止で死んでいたかもしれない。
 あいつらがまだ生きていたなら、空手によって引き上げてやりたい。
 一緒に練習し、励ましあって強くなって大会に出て、勝ち残れれば素敵だろうな…
 昔のバカでヘタレな自分と同じようなやつと、一緒に頑張れないだろうか?
 僕は、昔の自分や、死んでいった友達たちと、もう一度友達になりたい。

 先生や先輩、仲間の声が聞こえる。
 「遠藤! 手数を出せ! 前に出ろ! 相手を外に出せ!!」
 試合場で、コートの中で、「殺してやる」くらいの気持ちで傷つけあった相手。
 でも、試合が終われば、ヘトヘトでも笑顔で握手し、健闘を称え合った。
 あんなふうな付き合いが、空手を通じて出来ないものだろうか…

 2007年、27歳。
 前年末に黒帯を取得していた僕は、「レンタル空手家」と称し、ひきこもっている当事者から依頼されれば、自宅や公園などにこっちから足を運んで、一緒に空手の稽古をする試みを始めました。

 自分の気持ちを相手に叩きつけ、相手の気持ちを受け止める。
 自分を防御をしないと傷つきすぎてしまうし、自分より弱い相手には手加減しないと傷つけすぎてしまう。
 それを体で学ぶ試みが、「格闘技」でした。

 だから、かつての自分のようなひきこもりの若者が格闘技の道場やジムに通い始めるきっかけとして、こちらから出向いていく出張個人指導を始めたのです。

 空手を始めると、頭ではなく「体を動かす気持ちよさ」で自分と他人に向かい合えます。
 その手応えを、一人でも多くのひきこもりの方に実感してほしいと思っています。


●講演企画☆『当事者と一緒』
(※遠藤くんを講演に呼びたい方、遠藤くんについてもっと知りたい方は、上記に飛んでみてください)